DUBとは。マルチトラックに録音された音源をコンソール(ミキサー)で出し入れ+エフェクターによる処理を加えて別のバージョンを作るもの。そんな認識なんだけど。日本初のDUB(ダブ)はなんだろうかと考えると、もしかしてこれじゃないか? という話。またしてもSANDII(サンディー)の話だ。最近はフラばっかりだけど、昔はもっとすごかったんだ。
俺が知る限り、とかいうよりも、ウチにあるCDの中で最も古いDUBな曲ってことで。まあ、ほかにもきっと普通にあるんだろうけども。
作曲は高橋ユキヒロ。作詞はクリス・モスデル(当時のYMOの楽曲の英語詞はほとんどクリス・モスデル、その後ピーター・バラカンになってく)。高橋ユキヒロの『ニウロマンティック』のバージョンのほうが有名かもしれない。そっちのバージョンも友達から借りてテープ(カセットテープだよ、当時)持ってたけど、カビたので、今は確認できないよ。がっくし。
で、最近買った、SANDII名義(実際はSANNDII & SUNSETZによるものと考えていいと思う)のアルバム『Eating Pleasure』の同曲を改めて聴いて、「これ、すんげーDUBじゃん!」とか思ったっていうことで。
レコード発売当時のことは知らないんだけれども。その後、CDで再発されたときにベスト版とかで聞いてたはずで、それでも気づかなかった。これはテクノの音響の一環なんだと思ってた。だいたいシンセ満載だし。
ところが違った。今頃気づくこともあるんだな。
DUBを初めて意識したのはたぶん、80年代末(92年かもしれん、Amazonによれば)に出たミュートビートの『MUTE BEAT DUB WISE』(リー・ペリー参加)だったと思うんだけども。
その前にサンセッツは『ONE LOVE』というレゲエにシフトしたアルバムを出している。たぶん、88年。
スライ&ロビー参加で話題になったアルバムだ。
サンセッツのリーダーである久保田麻琴は、当時、スライ&ロビーにAKAIのサンプラーMPC60を伝道したことで有名。というか、世界中のアーティストにAKAIのサンプラーを広めたのは彼の功績が大きいはず。ダンドゥッドの発展にも寄与しているはずだ。このへん、サンレコで何度も語られている。
まあ、いろいろあって。『ONE LOVE』はそれこそ、レゲエメインなので、DUB要素も多いのだけども、80年代の楽曲である『DRIP DRY EYS』がバリバリDUBであったことに、今頃気づいた、っていう話でした。
なんかぱっとしない話だな。書こうとおもったときは、もっとおもしろい話になるかと思ったんだけど、今、思考能力が低下してるので、このへんで。
そういえば。
80年代のアルバムなので、音が古臭いとか思うかもなあ、なんて予想があったんだけど、ぜんぜん、そういうことがなかった。80年代後半のデジタルリバーブ全盛のころの曲のほうが、逆に古臭く感じるのかもなあ、とか思ったり。
まあ、とにかくよかった。持ってるはずだけど、見つからないやつもあるので、サンセッツのアルバムは買いなおそうと思った。
ついでに、テクノとDUBの話についても書いておく。
96年くらいの話。
当時、日本のテクノアーティストはライブでDUBをやるってのが定番だった。
電気GROOVE在籍時のまりん もライブではDUBやってたっていうレポートをどっかで観たんだけど、その後、田中フミヤのフードラムもライブではDUBだった(これは実際にライブステージ観た。2回目のナチュラル・ハイ at お台場で)。
テクノのライブというと、下手すっとシーケンサから流しっぱなしになりがち、ボーカルなしだと、変化をつけるためにも、なんらかの仕掛けが必要なわけで(そんだけボーカルがライブでは重要な位置を占めるんだろう)。そこで、コンソールでのエフェクトなりミュートによる音の変化が必要になるわけで。
うーん、やっぱりまとまらない。以下、続く。かも。まとまらないのは当然ながら酔っ払って書いてるせいだ。まあ、全部間違ってるんだろうな。これ。
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