『ステイン・アライブ』の革新性。世界初のループミュージックを作ったビー・ジーズ

 ここまで言うと言い過ぎかもしれないけれども、『ステイン・アライブ』が収録されている『サタデー・ナイト・フィーバー オリジナル・サウンドトラック』のレコーディングの模様についてのインタビューを読むと、そう言ってしまいたい気持ちになる。現在発売中のサウンド&レコーディングマガジン(4月号)のCLASSIC TRACKSっていう連載はいつもだいぶ昔の話であったもどきどきさせられるものが多いんだけど、今回のはとくに。
サタデー・ナイト・フィーバー 『ステイン・アライブ』を主題歌に、大ヒットを記録した映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の公開は1977年。製作側の意図しなかった大ヒットと空前のディスコブームを生み出してしまった作品である。サウンドトラックの発表も同年。
 ビー・ジーズはもともとディスコブームの大御所などではなく、上記サウンドトラックに提供した複数の曲もディスコミュージックとして制作したものではけっしてなかった。以下、引用。
 「彼らはディスコ・ブームが到来するはるか以前から、トレードマークとも呼べる美しいハーモニーやバリーのたぐいまれなるファルセットをフィーチャーしつつ、若いころに影響を受けてきた数々のポップ音楽と、愛してやまない1970年代の初期のフィラデルフィア・ファンクをたくみに融合させた音楽を作っていた。そうした音楽スタイルを持った彼らは“ブルー・アイド・ソウル”の作り手として注目され、そのリズムを重視したダンス・ミュージックの数々は、アメリカの黒人音楽系ラジオ局でも認められつつあった」
「サタデー・ナイト・フィーバー」オリジナル・サウンドトラック [でかジャケCD] そんなグループだったが、同映画のサウンドトラックのうちシングルカットされたシングルの中から4曲がトップ1に輝いており、そのうち3曲が彼らのものであったという。こうして“キング・オブ・ディスコ”としてブームの頂点に君臨することになったわけだが、それ以前のディスコミュージックは「黒人もしくはゲイ社会に属するアメリカのサブカルチャーの1つとされていた」とある。そんなディスコミュージックをメジャーにしたのがイギリスで生まれた兄弟トリオであったわけだ。
 で、そこにいたる経緯もおもしろいのだが、そのへんは省略。問題はそのレコーディング手法だ。とくにおもしろいのが『ステイン・アライブ』のドラムトラックである。いや、ギターのカッティングによるイントロのリズムだけでも「ナンバーワンヒット間違いなしだよ」と賞賛されたという話もおもしろいのだが、さらにその後に驚きの事実が待っている。
 録音が終わり出来上がった最初のシングルカット候補『恋のナイト・フィーバー』をバンドをはじめとする制作側はすばらしいと思ったのだが、「ハリウッドのお偉方」は気に入らない。そこで、自分たちのアルバム用に作り始めていた『ステイン・アライブ』が選ばれる。しかし、レコーディングに必要なドラマーが家庭の事情でイギリスに帰ってしまう。仕方ないのでスタジオのHAMMONDオルガンに内蔵されたリズムマシンを使おうとする。これもすごい。「LINN Linnドラムとが登場する以前のこと」ということで、もちろん単体のリズムマシンが存在しない時代である。現代の制作環境との違いを考えても、リスナーの了解という点でも突飛な考えだったと思われる。
30 そこで考えられたのが、先にレコーディングされていた『恋のナイト・フィーバー』のドラムパートから「ベストな部分を2小節ほど抜き出す」という手法であった。当初はそのコピーを何十個も作ってつなぎ合わせるという予定だったという。これ、比ゆ的な表現じゃなくってほんとにテープをつなぎ合わせるってこと。現代の環境だとPCで一発だけど、当時はそれが当たり前だったわけだ。とはいえ、この方法はとられず、2小節分だけをコピーして、そのテープをループ再生させるということになる。その長さにあった再生機器などはないわけだから、手製のフィード装置も新たに作られたという。調整もたいへんだったそうだが略。
 こうして作られたビートはハイハットとスネアだけのシンプルなものだったが、とても正確で安定したものだった。これが世界初のドラムループだったのである。
STAIN ALIVE/FAME/PAN-AMERICAN/BEEF STAKE ART FEDERATION 2 そしてこの曲のクレジットにはドラマーとして「バーナード・ルップ」がリストされている。なかなかシャレた冗談だが、これが後に「あのドラマーは誰だ?」みたいな問い合わせが殺到したのだという(正確な描写は「コイツは岩のように固いドラムをたたく。あんなにリズムが安定したドラミングをするドラマー、今まで聴いたことがない!」)。まさに伝説になりうる曲にふさわしい逸話だ。
 まあ、そんなこんなで記事の長い概要(感想と引用を含む)は終わり。
 この記事を読むまで、僕はドラムループの最初はヒップホップだったと思っていた。「アフリカ・バンバータがターンテーブル2台を作って作り出した」みたいな有名な話。実際はそうじゃなかったんだね。
 これを機会にバンバータについて調べたけど、レコードに関してはこの話もどうも正しくないようだ。’70年代後半から確かに2台のターンテーブルによるループでライブなどを行っていたらしいのだが、実際にレコードとして発売されたものは既存のレコーディングからのサンプリングによるものである、みたいな話。『プラネット・ロック』が発表されたのは’82年。すでにこの時点でサンプラーが登場しているわけだね。ここで使われたのはクラフトワークの「TRANS-EUROPE EXPRESS」ってのも有名な話。
Sound & Recording Magazine (サウンド アンド レコーディング マガジン) 2006年 04月号 この号のサンレコ、この記事だけでなく特集にもおもしろいインタビューが目白押しだ。『あの時、あの音』と題して日本のエポックメイキングな作品のレコーディングにいての証言がたくさんある。電気グルーブ、ソフトバレエ、フリッパーズ・ギター、フィッシュマンズ、テイ・トウワ、UAなどなど。アーティストじゃなくって、エンジニアの証言だけのものもあるけど、当時の状況が思い出されてなかな今でも当時のワクワク感を思い起こさせてくれる。リアルタイムで当時読んだことと、それに対する現在の考えの違いとかが出てくるところもいい。機材の進歩と対比させると、その進歩がよいことばかりでもないってところもあったり。機材に興味がない人でも楽しめるんじゃないだろうか? 15日には次の号が出ちゃうので、いまのうちに立ち読みしといたほうがいいよ。
 ところで、このエントリ。関係ないようなあるようなCDのリンクもあるので注意。ジャケットおよびタイトル見て笑う、っていう趣旨で。それにしてもなげー。あごなげー。
(追記0411)
 タイトルに「世界初のループミュージック」って書いたけれども、これ、正確ではなかったですね。「世界初のドラムループ」ってのが正しい表現(サンレコからの引用部分を含め本文にもそう書いてあったのに)。ヒップホップ以降のサンプリング手法に近いやつ。単音やドローン的なものやSE的なものではなく、ってことで。

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